シリア・ヨルダン旅行 2006年7月
ーアラビアのロレンスを巡って、初めての中東ー

7月27日 part 1/ペトラ遺跡へ

今日は遂に、ヨルダン観光の目玉である「ペトラ遺跡」に行きます!古代ナバタイ人などにより、シルクロードの中継都市として2000年以上も前に栄えたペトラの遺跡は、ヨルダンでもっとも有名な世界遺産です。「バラ色の都市」とも呼ばれ、映画「インディー・ジョーンズ」の舞台にもなりました・・・・と、エラそうに書いていますが、実は私も全然知りませんでした(苦笑)

私が知ったきっかけは、これまたロレンスです。彼が友人にあてた手紙の中で、
「これまでペトラに関する文章を幾つも読んだけれど、どれもこの美しさを表現しきれていなかった。だから私の手紙もきっと充分ではないだろう。ラクダでなければ来られないようなところだが、ペトラの本当の美しさは実際に見なければ分からない。」と書いていて、
「うわ〜っ、どんなトコなんだろう?行ってみたい!でも、ラクダじゃないと行けないなんて、すごい秘境なんだろうなぁ。」
なんて、漠然とあこがれていたのですが、実はヨルダン最大の観光名所だったのです(苦笑)

アカバからペトラへ向かうバスは、朝7時半頃出発でした。フロントでチェックアウトし、朝早いので朝食は無理だよねぇと思いつつも、念のため聞いてみると、
「今から食べたいの?いいよ、すぐに準備させるよ。」
と即答。スタッフが皆親切で、良いホテルでした。


ペトラ遺跡はこんな都市遺跡からスタート

今回の旅行で初めてのバス移動。バス乗り場に到着すると、すぐに「ペトラか?」と声を掛けられました。そして荷物を渡すと、うわっ!いきなりバスの屋根に積まれちゃった(汗)ドライバーは縄で荷物をくくりつけながら「大丈夫、大丈夫」と笑ってる(苦笑)バスと言っても、日本では料亭の送迎に使われるような、20人乗り程度の中型のバンで、クーラーもなく、中もボロボロで、決して良い乗り心地とは言えません。でも料金は2人で6ディナールなので、格安です。そしてこのバスも、乗客が満員になってから出発しました。

ヨルダンの南北を結ぶルートは、砂漠の中に作られた新しいデザート・ハイウェイと、古くから使われてきた「キングス・ハイウェイ」がありますが、キングス・ハイウェイは時間がかかるのであまり使われないそうですが、このバスはそのキングス・ハイウェイを走っていきます。山々や古い町並みの中を通っていくこのルートは、砂漠ばかりのデザート・ハイウェイと違い、変化に富んだ素晴らしい景色が見られますが、山肌に沿ってウネウネと蛇行した道を登ったり下ったり。確かにこれでアンマンまで行ったらブッ倒れます(苦笑)

そして2時間程で、ペトラ遺跡近くの街ワディ・ムーサに到着。バスを降りるとすぐにホテルの客引きが集まってきました。
「ホテルまで車で乗せて行ってやるぞ。ペトラまでも送迎する。見てみて気に入らなかったら、他のホテルまで送ってやるから!」
とまで言われ、とりあえずその客引きのホテルに行ってみました。値段も安くて良さそうなんだけど、シャワーしかないんだよねぇ・・・。今日は久しぶりに湯船につかりたいの・・・バスタブがあると「地球の歩き方」で紹介されていた安ホテルに目星をつけていたので、残念だけどこのホテルは断って、そちらのホテルまで連れていってもらいました。

目指したホテルは、なんとなく寂れた雰囲気でしたが、部屋は狭くないし、TVもバスタブもある。よし!ペトラでの宿泊はここに決めよう!ところが、チェック・インを済まして、風呂場に行ったダンナが一言・・
「バスタブの栓がないぞ。」
え〜っ!どういうコト!?
フロントに訴えると、「無いよ」と、そっけない一言・・・うーん、ホテル選択をミスったような気がしてきたぞ・・・。

ともかく、気を取り直して、今日はペトラ遺跡ですっ!

ペトラは広大な遺跡なので、入場チケットも1日から3日券まであります。明日の午前も遺跡を見るつもりだったので2日券を買おうとすると、一人26ディナール!高い!ヨルダン国民やアラブ諸国からの観光客向けのチケットはもっと安いらしく、お金を持っている外国人観光客からお金を集めるとはいえ、これはちょっとなぁ(汗)

だんだんと軽くなってきた財布とにらめっこしていると、次々と観光客がやってきました。さすがにペトラ遺跡には団体観光客のバスが次々とやってきます。しかも、それまでに観光地で見かけた団体客は、ほとんどフランス人だったのに、ここでは韓国人の団体と遭遇。シリアでは常に「日本人?」と言われていたのに、ヨルダンに来た途端、「中国人?韓国人?」と言われた理由が分かりました。

きれいに整備された遺跡への道を歩いていくと、ここではラクダではなく、馬に乗ったガイドが多い。やっぱりインディー・ジョーンズ気分に浸りたくなるのか?


この奥がシーク

こんな道が延々と続きます

そして、ペトラ遺跡への入口である「シーク」に到着。「シーク」とは、数十メートルもの高さの絶壁に挟まれた、1キロにも及ぶ、ペトラへの自然の通路です。この自然の城壁のため、ペトラは難攻不落の都市であったと言われ、また長い月日の間、外国人たちからも隠されていました。そのシークを囲む絶壁の岩肌は、赤やオレンジのマーブル模様が美しくて、不思議な空間です。しかし、古代の空気に浸ろうと思っても、狭いシークは観光客だらけ。しかも音が反響して、かなりうるさい(苦笑)

通路の片隅にアラブ人の一団が集まっていたので、何かと思って覗いてみると、岩壁から生えた木から子供達が実を取っていました。あっ!ワディ・ラムで食べたイチジクだっ!と覗き込んでいると、おばさんが笑って「はいっ!」と、そのイチジクを沢山くれました。
「よほど欲しそうな顔をして、見てたんじゃないの?」と、ダンナ。確かに食べたかったんだけどね。

ペトラ遺跡の最初の見せ場は、この細いシークを抜けた瞬間に、突如として「エル・ハズネ」という遺跡が目の前に現れるところだと言われています。「まだかな?もうすぐかな?」と、ドキドキしながら歩いていたのに、突然、前方の団体から
「じゃあ、いきますよっ!3!2!1!」
「ウォ〜っ!」
なんて、カウントダウンが(苦笑)スークが終わる場所が分かっちまったよっ!!

と言っても、やはり「エル・ハズネ」が目の前に現れた瞬間は思わず、「うおお〜っ!」と、思わず声が出てしまいました。バラ色の岩肌を掘って作られた、この巨大な宮殿の壮大さは、確かにロレンスの言うように、自分の目で見なきゃ分からないね。


バラ色の宮殿エル・ハズネ

遂にこのエル・ハズネを訪れたのだから、ここで昼食にしようと、買って来たケバブをベンチに座って食べ始めたら、う〜ん、何故かやたらとハチが集まってくる(汗)ブンブンとたかられまくり、全然のんびり食べていられませんでした。

エル・ハズネから歩いていくと、ペトラの都市遺跡があり、2キロほどに渡ってたくさんの住居跡の遺跡が残っています。でも建築物のほとんどは大昔の地震などで壊れてしまい、倒れた柱や寺院の跡が残っているだけですが、エル・ハズネと同じように山の岩肌に何段にも重なって直接彫り込まれた遺跡もあり、それぞれの岩の色の違いから色々な表情を見せてくれ、面白い。

あちこちの遺跡を見ようと、山肌を登ったり降りたり。しかし、昨日の「ロレンスの泉」のおかげで、足がかなり筋肉痛(汗)しかも、とにかく暑いっ!乾燥と日差しが強烈です。またしても体が言うことをきかなくなってきて、少しづつ休憩を取りながら、なんとか終点のレストランに到着。冷たいジュースでやっと一息ついていると、裏の山から大勢の人が降りてきました。そういえば、ここからさらに山を登っていくと「エド・ディル」という遺跡があるらしい。
「でも、そこまではなかなか行けないんだって。」
「じゃあ、すぐ行こう!」
と、立ち上がるダンナ。ちょ、待て!待てっ!
「片道1時間以上かかると本に書いてあるよ。今は3時だから、帰ってこれるかなぁ。」
「来れるでしょ。行こう!行こう!」
だから、ちょっと落ち着けぇ!


こんな遺跡があちこちの岩肌に

岩肌に掘られた街並み

T.E.ロレンスを巡る旅

July / 2006 初のシリア・ヨルダン旅行へ

Feb/2006

May/2006

July/2007

番外編

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