サポーターが選ぶ名場面100!/2000年J2第33節浦和レッズvs大宮アルディージャ

2000年夏。

うんざりするほど長いJ2のシーズンの中で、最初の楽勝ムードから一転、思うように勝ち点が積み上げられないレッズに、チームもサポーターも焦り始めていました。

チームの状態を示すかのように、「監督と選手の確執」なんて悪い噂も聞こえたりしました。そんな中で古傷を抱えながらもプレーしていたペトロが突然ベンチからも姿を消しました。イヤな予感がしました。それでも!それでもペトロ退団のニュースはあまりにショックでした。

「嘘だぁぁぁ!ペトロと一緒にJ1に戻るんじゃなかったのかぁぁぁ!」

ショックの余りに車をぶつけちゃうし、おまけに折り悪く(?)その日は江頭2:50のライブ。「江頭を見てる場合じゃない〜」と泣きじゃくる一日。(ともかく、なだめられライブに行きました。現金なモンでライブではケラケラと笑い転げていたのに、「ハーフタイムに江頭を登場させたサガン鳥栖に対抗して、レッズは岡野を投入!」のネタに、口は笑いながら思わず涙目に。)

そもそも私は生まれも育ちも生粋の愛知県人。そんな私がなぜ浦和レッズのサポーターとなって、いらぬ苦労をするハメとなったのか。

初出場に日本中が大騒ぎになっていたフランス・ワールドカップ。ウチのダンナが「これ、グランパスの選手が出ているよ」と見ていたのが「ドイツvsユーゴスラヴィア」の試合でした。
「ああ、なんとかビッチとかいう東欧の選手ね〜」
そんな程度の興味だったのに、気がつけばその試合にのめり込んでいました。
「サッカーってこんなに面白いの!?」
すぐにユーゴスラヴィア代表チームのことを調べました。すると、
「へーっ、あの、やたらと走り回る、ちょっとイイ男だった選手もJリーグにいるんだ。」

それをきっかけに見始めたJリーグ。無論、地元にはもっと有名な「なんとかビッチ」さんもいました。しかし、レッズ・サポーターの熱狂、無駄に(?)熱くさせがちなレッズの試合、そして赤いスタジアムで、最も赤が似合っていたペトロヴィッチ。相手ゴール前にいたかと思えば、自ゴール前でクリアしてる。全身で喜び、全身で怒鳴り、全身で悔しがっていた。

地元チームのサポーターが一人増えた!?という周囲の期待を裏切り、私はペトロ、そしてレッズにハマっていました。

しかしその無駄に熱くさせる試合がアダとなり、レッズはまさかの降格。テレビは泣き崩れるペトロを「降格に泣くレッズの『おいしい』映像」として、繰り返し、繰り返し放送しました。

悲しいというより悔しかった。

ペトロは「レッズを愛しているからここプレーする」とすぐに残留を表明しました。タダ働きのような選手生活からヨーロッパのチャンピオンチームにまで這い上がった彼にもサッカー選手としての「プライド」があるはず。しかし彼は他のJ1チームからのオファーを断り、レッズの選手としてJ2で戦うことを選びました。

ならば、微力ながらでも私もそれを後押ししよう。レッズを、ペトロを、あるべき場所、J1に戻すのだ。いつの間にか「ペトロが好きだからレッズが好き」から「レッズを愛しているペトロが好き」に変わっていました。

しかしシーズン半ばでの突然の退団。誰よりも無念だったのはペトロでしょう。

退団が発表されてからもベンチにもペトロの姿はありませんでした。もうレッズのユニフォームを着たペトロを見ることはないのか。監督がもう使わないと決めた以上、ペトロが出場しないのは仕方ないのかもしれません。それは分かる、だけど・・・。

迎えた最後の試合。9月16日、対大宮アルディージャ戦。

駒場を真っ赤に染めていた朝焼けは、その日が雨になると教えていました。そして控え選手の中にペトロの名前がありました。

しかし試合はあっけない幕切れでした。

後半途中から出場したペトロは伸二から受け取ったキャプテンマークをつけ、縦横無尽にピッチを駆け回り、大声で皆に声をかけていました。だけど、大宮のセットプレーからレッズはあっけなく失点、そのまま試合は終了しました。ペトロを笑顔で送ってやれませんでした。

退団セレモニーの後で場内一周をするペトロは途中でユニフォームを脱ぎ、後ろ前を反対に着直しました。襟が後ろを向いたユニフォーム。フツーならカッコ悪い。でもペトロはめちゃくちゃカッコ良かった。ペトロがレッズの6番を誇りとしていること。そして私たちにレッズの6番だったペトロを憶えていて欲しい。言葉がなくても逆さのユニフォームはそう伝えていました。だからこそ私たちも彼に「我らの誇り」と最大の賛辞を送りました。

そして雨の上がった夜空に響く「愛さずにはいられない」。それは駒場の外まで続き、玄関から出て来たペトロとの別れを惜しんで、何人ものサポーターたちが、あの駒場正面の3m近い塀を飛び降りました。まさしくペトロは「愛さずにはいられない」レッズのプレーヤーでした。

「もしレッズのためにプレーするなら、
レッズを愛さなくてはならない。
そしてもしレッズを愛するなら
100%ファイトしなければならない。」

選手は決して1チームに留まっているとは限りません。しかしレッズで戦う時は、レッズを愛さなければいけない。でもそれは反対に、レッズには選手に愛されるだけの価値がなければならない、という意味です。

選手はレッズを熱くさせます。でもレッズも選手を熱くさせなきゃならない。

今のレッズにもペトロの気持ちを持った選手たちがいます。個人的には啓太に期待してんだけど。(それにはもう少しミドルシュートがうまくなってもらわないと。あっ、ペトロもそうか(汗))あと、もう少し。あと、もうちょっと、なのかな?

でも私たちが受け身では「次のペトロ」は生まれてこないよね。

ペトロヴィッチを追いかけて

Nov/2001

Nov/2002

May/2004

おまけ

番外編

その時々の興味のおもむくままに出かけた旅行記も書いていますので、良かったらどうぞ!

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