再度、アラビアのロレンス 足跡を巡る旅 in UK May/2006

5月26日/オックスフォードへ小旅行 part 2

それから改めて「歴史科学博物館(Museum of the History of Sciences)」へ行きました。


ロレンスが愛用したカメラ

ここには科学研究に関係する歴史的な器具類が保管されていて、薄暗い地下展示室のガラスケースに、たくさんのカメラの中に埋もれて、ロレンスのカメラがありました。ロレンス展でも展示されていましたが、この博物館のケースならカメラの裏側も見られるのですよっ!そんな事が嬉しいのか、って?だって、カメラは裏側(ファインダー側)で使うモンでしょ?「ロレンスが撮影した写真は、このファインダーから覗いて撮られたのかぁ」なんて考えると、それだけでウキウキ(苦笑)(ちなみに、お父さんのカメラも保管されているらしいのですが、それは見つけられませんでした。)

そしてまだ時間があったので、「ハリ・ポタ」が撮影されたというオックスフォード大学の校舎「クライスト・チャーチ(Christ Church)」に向かいました。

しかし、貰ったガイドマップで初めて知ったのですが、その建物の向かいにある小さな教会に、ロレンスの両親と兄弟のお墓があるそうです。「まずはご両親たちのお墓参りをしようか」と教会に行くと、そこは土曜日しか入れませんでした。なので教会の外からお参りをしていると、ふと考えてしまいました。ロレンス本人は彼の生前からの希望で、終の住処に決めたドーセット州に埋葬されています。彼は生前に「自分が考えていることを母に知られるのが恐ろしい。私達兄弟は皆、母の元から逃げるしかなかった。」と告白していました。彼と一家のお墓の間にある100マイルもの距離の離たりに、彼の母親への愛憎の深さをなんだかマジマジと感じてしまいました。

そして改めてChrist Churchに行くと、綺麗な芝生とイングリッシュ・ガーデンがお出迎え。この時期のイギリスは良いねぇ。オックスフォード大学は日本の大学のように定まった敷地があるのではなく、おそらく学部ごとにそれぞれの校舎(カレッジ)に分かれていて、それが街中に点在しています。だから街全体が大学の中のような雰囲気です。そしてこのChrist Churchは(おそらく)最大のカレッジで、建物自体は一日中見学可能ですが、撮影に使われたホールは14時からしか開いてません。しかもこのカレッジだけは見学が有料なのです。このホールが見られない時間帯はディスカウント価格になっていましたが、そこが見られなきゃ意味ないよ・・・。


オール・ソウルズ・カレッジ

他のカレッジは見学時間が14時〜16時(平日)ですが、ここはもう少し遅くまで開いていたので、他のカレッジを先に見ておく事にしました。カフェで紅茶とほうれん草のパイを食べて少し休憩。2時になったので、まずは「オール・ソウルズ・カレッジ(All Souls College)」へ。

戦後のパリ講和会議の後、オックスフォードへ帰ったロレンスは、このカレッジの評議員(研究員みたいなもの?)に選出されました。「ロレンス」展に展示されていたカルケミシュの小さな馬の陶器は、このカレッジでロレンスに与えられた部屋に、ずっと置きっぱなしになっていたそうです。あまりこのカレッジに居ることはなかったそうですが、それでも、ロレンスが部屋からの眺めが気に入っていたという中庭に立ち、会議の失敗での失意の中、あのカルケミシュの小さな馬を見ながらロレンスは何を考えていたんだろう、と、妄想が一人暴走中(苦笑)

それから大学生としてロレンスが通った「ジーザス・カレッジ(Jesus College)」へ。ホールにオーガスタが描いた有名なアラブ服のロレンスの油絵の複製があり、教会には胸像があるそうです。

中に入ってみると、とてもこじんまりした大学で、緑の中庭には黒のスーツ(燕尾服みたいなヤツ)を着た学生2人が立っていました。ロレンスも大学に行く時はこれを着てたのかな?と、思わず頭の中でアイコラ(笑)まるで観光客向けかと言いたくなるくらいに、絵になる風景だ。


オックスフォードにはガイド付きでカレッジを回るツアーが沢山あり、中庭にいたらそんなツアーの一団がやって来たので、彼らについて入ったホールに、いきなりロレンスの肖像画があったぁ!椅子に座って、素知らぬ振りをしつつガイドに耳を傾けます。でもよく聞き取れない(涙)ホールの壁には、このカレッジに関係あった歴史的人物たちの肖像画が沢山かけられていて、何とか王女やエドワード何世(いい加減)の肖像画があり、そんな中のアラブ服の男は・・・浮いてる(苦笑)


でも次々と入れ替わり立ち代わり入ってくるツアーのガイドは、必ずロレンスの説明をしていて、お客さんたちも肖像画を見て「アラビアのロレンスだ」と口々に言ってました。やっぱり英米では有名なんだね。日本では、年配の方は分かってくれるけど、20代前半に「なんですか?それ?」と言われた時にはショックだったからねぇ・・・。あるツアーでは、ガイドが「以前、アメリカ人が言いましたよ。『アラビアのロレンスは・・』」と話すネタに皆、爆笑してました。でもオチが理解できなかったの・・・。残念。

しかし、そんなガイドも「ここは小さなカレッジなので、見所はありません」と、そのまま出て行ってしまいました。ツアーの中ではこのカレッジは「ロレンスの母校」というだけの扱いなのかな?でも私は教会も探さないと!


教会の入り口は聞かなきゃ分からない

入口の管理室で聞いてみると、中庭に面して幾つも並んでいるドアの一つを教えてくれました。古い木戸を開けると、またいきなり暗闇の中にロレンスの胸像がっ(汗)誰もいないこじんまりとした教会のホールに、ロレンスの胸像が置かれていました。するとちょうどそこに学生が入ってきて、夕方の聖歌隊の練習なのか、パイプオルガンの演奏を始めたのです。演奏を聴きながら、ひとりで胸像や教会を見ていると、ちょっとだけ得した気分でした。

そして、ガイド・マップには、このカレッジでのロレンスの部屋番号も書かれていたので、また管理室で聞いてみると、校舎の中は入れないそうでした。この部屋がどの辺りなのか聞くと、校舎の一角あたりを教えてくれました。さらに「ロレンスならここにもあるよ」と、門の天井近くにあった「Thomas Edward Lawrence」と刻まれたプレートを教えてくれました。でも名前以外は全部ラテン語で、「俺には何て書いてあるのか分からないけどね、」と笑ってました。

現地で聞くと色々教えてもらえて、良いね。

最後はロレンスの膨大な書簡や本(「知恵の七柱」の原稿や予約版もあるのかな?)が保管されているボードリアン図書館へ。特に何が見れるという訳でもないですが、とりあえず、「いつか私が見る日まで、大事に保管しておいてね」とお祈り(?)しておきました。

オックスフォードには高い塀に囲まれ、時代を感じさせるような良い雰囲気の石畳の小径がたくさんあって、ついついそんな道を選んで歩いてしまいます。

そしてようやくクライスト・チャーチへ。ハリポタが撮影されたというホールに向かうと、確かにジーザス・カレッジとはケタ違いの大きさ(笑)驚いた事に、中にはいるとプ〜ンと良い匂い・・・というかイギリス的ディナーの匂いが漂ってきました。どうやら既に夕食会が準備されていたみたい。飲み物やパン、スナックなどが壁際のテーブルに準備されていて、観光客を入れながらも日常的な行事は進んでいるという、おおらかというか、リズムを崩さない姿勢に不思議な感動がありました。


ロレンスが通った高校

そして駅への帰り道、ロレンスが通った高校(かな?今は大学の一部みたいでした)を見ました。

中は入れませんが、ここには「ロレンス展」にあった小さな彫像があるはず。椅子に座ったアラブ服姿のロレンスの像で、製作者は女性のようでした。そして製作者のコメントには「二人ではしゃぎながら、彼がアラブ服を着るのを手伝った」と書かれていて、女性と小柄なロレンスが、キャアキャアしてる情景を想像して、なんだかすごく可笑しかったのを思い出しました。

夜のライブを考えて早めに駅に到着したのに、列車のダイヤが遅れていて、結局1時間待たされるハメに・・・。おまけに一日中歩き回ったから、ホテルにたどり着いたらドッと疲れが。「ライブは10時だから、8時まで寝ちゃえ」と思ったのに、目が覚めたら9時半(苦笑)ライブは諦めた〜。

T.E.ロレンスを巡る旅

May/2006 再度、T.E.ロレンスを巡る旅 in UK

Feb/2006

July/2006

July/2007

番外編

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